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高知地方裁判所 昭和45年(行ウ)70号 判決

原告 徳弘寿男

被告 高知刑務所長

訴訟代理人 金子博 外二名

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

一、原告は、「被告は、原告が高知刑務所に収容されている者に対してなす文書の差入れを許さなければならない。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

二、被告指定代理人は、本案前の申立として、主文同旨の判決を求め、本案につき、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者双方の主張

一、原告は、請求の原因として

(一)  原告は、刑事被告人訴外岡村卓男の弁護人たる弁護士であるが、昭和四五年八月八日午前九時五〇分ごろ、当時高知刑務所に収容されていた右訴外人に対し同年同月七日付読売新聞第一面ないし第二〇面(以下本件文書という)の差入れ手続をした。ところが、被告の代理人である総務部長橘田平治は、高知刑務所においては被収容者に対し朝日新聞のみの購読を許し他の日刊紙の購読を許していない旨を説明するので、原告は、被告が定期購読を一紙に限定する理由は必ずしも理解できないではないが、特定紙以外の差入れを許さないのは理由のないことであり、特に特定日の新聞紙を差入れするときにこれを禁止するには記事の内容が被収容者の犯罪を助長するおそれがあるとか、公序良俗に反することが明白であるとかの場合に限りはじめて許されるものであることを説明したところ、結局右橘田平治総務部長は「本件文書中第一、二面および第一九、二〇面にしてほしい。」というので、原告もこれを了承し差入れ願書をそのように訂正したのである。しかるに、同年同月八日午後零時四〇分ごろ被告は原告の法律事務所へ「読売新聞なる標題、日付および第二〇面中の訴外岡村卓男の控訴趣意書に関する記事のみを切り取り一枚の紙に貼りあわせて右訴外人に交付する。」との電話連絡をしてきた。そして、被告において前記読売新聞の第二〇面中に掲載されている訴外岡村卓男の控訴趣意書に関する記事を切り取りこれのみを右訴外人に交付閲読せしめ、本件文書を新聞として差入れすることを許可しなかつた。

(二)  弁護人が選任された刑事被告人である訴外岡村卓男に書類を授受することは刑事訴訟法第三九条により許されているところであり、書類が同条第二項の戒護に支障ある物に含まれないことも明文上あきらかであつて、本件文書が右書類に該当することはいうまでもないから、被告主張の訓令をもつてしてもその差入れを制限することは許されない。

(三)  そもそも憲法第二一条一項は国民の権利として一切の表現の自由を保障し、この表現の自由の保障は報道の自由を通じて国民に「知る権利」のあることを明言するものである。宮沢教授が「表現の自由を保障するとは、何より公権力によつて、これを制限することを禁止する意である」と指摘するとおり、原則として、既決囚といえども、表現の自由を通じて「知る権利」は保障されねばならない。

まして、訴外岡村卓男は未だ刑事被告人であつて、「知る権利」のあることは一般国民となんら異るところはない。

新聞が社会の公器と言われ、その社会的使命の重要性が認識されていることは戦前の比ではない。ブラツクストンは「出版の自由は、まことに自由国にとつて本質的なものである」といい、今日、国民から「知る権利」を奪うことは、知識欲に対する糧食を絶つに等しいというも過言ではないであろう。

朝日新聞も優れた新聞であることを原告は否定するものではない。しかし毎日、読売、産経、日経の各紙もまた衆知の全国紙であり、高知新聞は本県における唯一とも言える優れた地方紙で、各紙がそれぞれ社会的使命を認識し、社会の公器としての存在意義をもつていることは否定しがたい事実である。

原告が差入れをしようとした本件文書においても、第一面は「ヒロシマ被爆二五周年」をトツプ記事に掲げて、「平和宣言」とともに広島市の状況を伝えるものであり、次に国民生活において必須条件である電話の料金値上げが改正案として通常国会に提出される予定である旨を、第二面では、国民的合意が望まれる「国防の基本方針再検討に」を社説に、以下、公害、物価等の現在社会生活における国民の極めて関心の高い記事を、第一九面では第一面に関連してヒロシマの状況を同面の約三分の二にわたつて、第二〇面(高知版)は安芸市長選がスタートしたこと、高校野球で甲子園に出場した高知商高の模様、無免許事故を起した高校生が同級生を身代りにした事実、訴外岡村卓男の控訴趣意書の要旨、その他犯人逮捕等を記載するもので、これらの記事には公序良俗に反すると思料されるもの、ないしは被収容者に対し、それが犯罪を助長し、あるいは収容の秩序維持を阻害すると認めらよれるものは全く存しない。

かえつて、被爆二五周年による人間的な反省、社会問題、国防問題等を通じて国家社会の変動とあるべき姿への指向を読みとらせるために、刑務教育行政における重要な資料を提供しているともいえるであろう。

あえて累言するまでもなく、報道の自由を通じて国民が「知る権利」を獲得するに至つたのは長い国民の基本的人権確立への歴史的所産の結果である。

被告の一存によつて一新聞を特定し(現在被告は朝日新聞を特定している。)、その閲読を許しているからとの理由で他の文書(とくに通常紙と呼ばれる日刊紙新聞)を閲読することを全く許さないとするのは官僚による恣意的統制といつても過言ではない。換言すれば、国民の基本的人権の一つを一官僚たる被告によつて剥奪するに等しく、かくては奏の始皇帝とネロ皇帝の焚書と実質的に異なるところはない。

(四)  また、被告は憲法第二一条に基づく「知る権利に関し、明白な認識の誤りをしている。即ち憲法学上にいわゆる表現の自由に包含される「知る権利」は、能動的な「知らせる権利」と、受動的な「知らされる権利」との両者を当然不可分のものとして把握するもので、その後者のみを「知る権利」とするものではない。

(五)  本件文書の第一、二面および第一九、二〇面の寸断が昭和四五年八月七日付読売新聞の差入れを却下した行政処分であり、被告の右処分が違法な処分であることは明らかである。そして、被告は前叙のように憲法の解釈を誤つて理解しており、これがため、今後においても朝日新聞以外の文書たる新聞紙等一般常識に、おける文書の差入れをせんとするとき、憲法ならびに法規に違反してこれを拒否し、あるいは没入または廃棄すること明白である。

よつて、原告が以後高知刑務所に収容されている被収容者に対し、文書の差入れを求めるとき、かかる処分をされることのないようにするため、請求の趣旨のとおりの裁判を求める。

と述べた。

二  答弁並びに主張

被告指定代理人は、本案前の主張として、

(一)  原告は、被告に対し、高知刑務所に収容されている者に対する通常紙等の差入れを許さなければならないとして、被告に対する作為を求めておられる。けれども、行政庁に対し行政権の行使を命ずることを求める訴は、裁判所が行政監督権の行使をする結果となつて三権分立の原則上許されないものである。

仮りに許されるとしても、それは行政庁が一定の行為をすべきことが法律上覊束されていて、それが行政庁の第一次的判断を重視する必要がない程度に明白で、かつ、事前に司法審査によらなければ国民の権利救済が得られず、回復し難い損害が生ずるというような緊急の必要性がある場合に限り許されると解するのが妥当である。

本件についてみると、在監者に差入れをなすべき場合には、拘禁の目的に反し、または監獄の規律を害すべき物の差入れは許されないのであつて、その許否は行政庁の第一次的判断を重視する必要がない程明白であるとはいい難い。また、通常紙等の差入れを不許可にされた場合、それによつて原告が蒙る不利益は、事後の司法審査によつて救済を図れば足りることであり、事前の司法審査を認めなければ回復し難い程度のものとは解されない。のみならず、原告が通常紙の差入れをしようとした相手方である訴外岡村卓男は既に高知刑務所には収容されておらず、その他に差当つて原告が通常紙の差入れをしようとする相手方については何等主張されていないところである。したがつて、原告の本訴請求は、将来高知刑務所に収容される不特定の者に対して、通常紙の差入れを行なう場合を想定していまからあらかじめ被告に差入れの許可を義務付けようにするものと解される。このような将来の不確定な事態に対処するためにまで、行政庁に対する作為を求める訴を認めなければならない緊急の必要性はどこにも存在しない。

それ故、仮りに行政庁に対して作為を求める訴が許されるとしても、本件訴は不適法であるといわなければならない。

(二)  差入れに関して規定している監獄法五三条は、在監者に差入れを求める権利、自由を保障したものであつて、これとは別個に差入れを行なおうとする者に差入れの権利自由を保障したものとは解されない。したがつて、原告は、たとえ将来差入れを不許可にされても、別段法律上の不利益を受けるものではないから、本件訴えについて訴の利益を有しないものといわなければならない。

と述べ、本案に対する答弁および主張として

(一)  請求原因第(一)項記載の事実は認める。

その余の請求原因記載事実はすべて争う。

(二)  原告は、高知刑務所に収容中であつた刑事被告人岡村卓男の弁護人であるが、昭和四五年八月八日午前一〇時頃、岡村卓男に面会に来た際、高知刑務所受付窓口に同年八月七日付読売新聞(一頁ないし二〇頁)を差入れのため提出した。受付係職員は、「通常の新聞紙の差入れは許可にならないこと、通常の新聞紙は在監者が自費で購入する方法によること、また当刑務所においては、購入が朝日新聞一紙に限られていること」を話し、その理由として「収容者に閲読させる図書・新聞紙等取扱規程」(昭和四一年一二月一三日法務大臣訓令、以下「法務大臣訓令」という)に根拠がある旨、補足説明した。これに対し、原告は無理やり読売新聞を窓口に置いて立ち去つた。その後、同日午前一一時頃、原告は、岡村卓男が使用していたノート(雑記帳)を被告が領置したことに抗議するため、被告に面接を求めて来たので、総務部長橘田平治が代つて原告と面接した。その件で話合つているところへ、会計課領置係の職員が、原告より差入れのため提出のあつた前記読売新聞の取扱いについて橘田総務部長の指示を求めるため入室したところ、原告は話題を転じて読売新聞の差入れを認めて欲しい旨申し出た。

橘田総務部長は、収容中の刑事被告人には、通常の新聞紙の差入れは一切認められておらず、それ以外の新聞紙たとえば宗教新聞・スポーツ新聞等は刑務所長等が適当と認めた場合に限り一紙だけ差入れを許可していることを説明し、法務大臣訓令にもとずき、刑事被告人には一紙に限り通常の新聞紙の購入を認めていること、高知刑務所では朝日新聞を選定していて、他の通常の新聞紙は閲読させていないので、要望にそい難いことを話した。原告は、読売新聞地方版(二〇頁)に報道されている記事(岡村卓男に対する刑事事件に関し、弁護人である原告が控訴趣意書を提出したこと、その概要、弁護人の談話等が「犯行裏付ゼロ」という見出しのもとに六段ぬきで記載されている記事)が、読売新聞だけにしか掲載されておらず、この記事を岡村卓男に見せることにより同人の精神の安定を計り、安じて控訴審での公判に臨めるように取計つて貰いたい旨強く申し出た。そして、原告は、最終的には読売新聞のうち、右の記事が掲載されている大版一枚(頁数でいえば、一・二・一九・二〇頁)を抜き出して、右の記事の部分を示して、これだけは是非岡村卓男に読ませたいと強調したので、橘田総務部長は好意的にその願出を承諾した。そこで、原告は読売新聞のうち、右の記事が掲載されている大版一枚だけを残して、その余の部分を持ち帰つた。

橘田総務部長は、右の記事をどのようにして岡村卓男に見せるかについて検討したが、同人に当該大版の一枚をそのまま閲読させることは、法務大臣訓令に違反すると考え、当該記事の部分を切抜いて台紙に貼りつけ、一般的な文書として岡村卓男に閲読させることにした。そして、その旨原告に伝えるため、同日午後零時四〇分頃電話で、原告事務所に連絡したところ、たまたま原告不在であつたので、事務員に対し「さきほど原告が来庁し、控訴趣意書の要旨が掲載されている読売新聞の記事を収容中の岡村卓男に見せることについて承諾したが、預かつた新聞をそのまま岡村卓男に閲読させることは法務大臣訓令に反すると考えられるので、その記事の部分を切抜いて台紙に貼りつけ、新聞紙としてではなく文書として取扱い、岡村卓男に閲続させるから原告にその旨伝えてもらいたい」と連絡した。

被告は、原告より提出された読売新聞大版一枚のうち前記記事の部分を切抜いたうえ台紙に貼つて岡村卓男に閲読させ、その余の部分は現在も保管している。

(三)  被告は、原告より提出された読売新聞大版一枚のうち、岡村卓男の刑事事件に関する記事の部分については差入れを許したが、その余の部分については差入れを認めなかつたものである。

被告の右のような処分が適法である理由を以下に述べる。

在監者に対する差入れについては、監獄法五三条により「在監者ニ差入ヲ為サンコトヲ請フ者アルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ許スコトヲ得」と規定されており、これを受けて監獄法施行規則一四二条・一四三条・一四四条の規定が設けられている。さらに、差入れのうち文書・図画の差入れについては、文書・図画閲読に関する規制を定めた監嶽法三一条、同法施行規則八六条の規定があるため、その方面よりの制約をも受けることになる。すなわち、同法施行規則八六条二項によると「文書・図画多数其他ノ事由ニ因リ監獄ノ取扱ニ著シク困難ヲ来タス虞アルトキハ其種類又ハ箇数ヲ制限スルコトヲ得」とあるので、この規定により閲読が許されない文書・図画については、その差入れも許されない。ところで、右のような監獄の管理運営上の必要からする文書・図画の閲読、差入れの制限を全国統一的に運用するために法務大臣訓令が出されている。それによると、新聞紙の閲読・差入れについて次のように規定されている。

第一六条 未決拘禁者の通常紙の閲読は、一般の閲読傾向その他の事情を参酌して、所長が選定した一紙に限り、次の各号に定める方法によつて行なわせる。

一、所長が指定する新聞販売店から購入させる。

二、月に二回以内あらかじめ日を定めて申込ませ所長の定める日から閲読をさせる。

2 前項に定めるもののほか、通常紙以外の新聞紙の差入れがあり、所長において適当であると認めるときは、一紙に限り閲読をさせることができる。

(注) 右に通常紙とは、もつぱら政治・社会・文化などに関する公共的な事項を綜合的に報道することを目的とする市販の日刊新聞紙をいう(二条二項)。

このように通常の新聞紙の閲読・差入れについて制限が規定されているのは、もし自由な差入れを認めた場合、毎日、多数の各種新聞紙の差入れが行なわれ、その検閲に当たらなければならない監獄当局としては多大の時間と労力を要することになり、監獄の管理運営上著しい困難を来すことになるので、それを防止するためであり、合理的な制限規定といえる。このように、収容中の刑事被告人に対する通常の新聞紙の差入れは法務大臣訓令により許されていないので、被告は原告より申出のあつた読売新聞の差入れを許さなかつたものである。ただ、岡村卓男に対する刑事事件に関する記事については、原告より強い要望があつたので、当該記事の部分を切抜いて台紙に貼つたものは新聞紙ではなく一般の文書であるという解釈のもとに、好意的に差入れを許したものである。

被告が原告の差入れを許さなかつたのは、以上のような理由によるものであつて、それは合理的な制限であり、何等違法視されるいわれはない。

(四)  原告は、被告の処分が憲法二一条にもとづく「知る権利」を侵害しているので違法であると主張しているもののようである。けれども、原告自身の「知る権利」は被告の処分によつて別段侵害されてはいない。仮りに「知る権利」を問題にするとすれば岡村卓男についてなら議論する余地があるかもしれない。けれども行政事件訴訟法一〇条一項により自己の法律上の利益に関係の、ない違法を理由として処分の取消を求めることはできないとされているから、岡村卓男の「知る権利」が侵害されたことを理由とする請求とするならば、主張自体失当といわなければならない。

なお、岡村卓男は、高知刑務所において朝日新聞を継続して購読しており、原告が訴状六項で列挙している各記事はすべて八月七日の朝日新聞に掲載されているところであるから、実質的にも岡村卓男は「知る権利」を侵害されていない。

いずれにしても原告の主張は失当である。

(五)  原告は、弁護人たる原告は刑事訴訟法三九条一項により本件新聞紙を差入れる権利を有しているので、その差入れを許さなかつた被告の行為は違法である旨主張している。

けれども、弁護人が刑事訴訟法三九条一項により有する刑事被告人と物を授受する権利は、決して無制限のものではなく、同条二項により法令で戒護に支障のある物の授受を防ぐため必要な措置を規定することができる、とされているところのものである。すなわち刑務所が多数の刑事被告人を収容し、その設置目的を達成していくうえで支障をきたすような物については、法令でその授受を制限する措置を規定することができるのである。ところで、文書・図画閲読に関する規定を定めた監獄法三一条、同法施行規則八六条二項は答弁書において詳述したように、刑務所における円満な管理運営を図つて行く必要から設けられた規定である。同条項は、直接には文書・図画の閲読の制限を定めた規定であるが閲読が許されない文書・図画については、その授受が許されないことは事柄の性質上当然のことであり、同条項はその趣旨を含んでいるものであるから、刑事訴訟法三九条二項にいう戒護に支障のある物の授受を防ぐため必要な措置を定めた法令に該当するといえる。

そして、被告は監獄法三一条、同法施行規則八六条二項にもとずいて原告からの新聞紙の差入れを許さなかつたものであるので、何等刑事訴訟法三九条一項に違反するものではない。なお、原告は、被告が法務大臣訓令にもとずいて差入れを不許可にしたもののように主張しておられるが、これは、誤解である。被告は、前述のごとく、監獄法三一条、同法施行規則八六条二項により不許可としたものである。右法務大臣訓令は、右法令の解釈を示した内部通達である。

と述べた。

第三証拠〈省略〉

理由

まず本件訴えの適否について判断する。

本件において、原告は、被告高知刑務所長が高知刑務所に収容されている者に対する原告の文書差入れにつき許可処分をなすべきことを求めているのであるところ、原告はかつて新聞紙の差入れにつき被告から不許可処分を受けたことがあるけれども、文書一般の差入れについては何らの処分も受けていないことが弁論の全趣旨から明らかであるから、原告の本件訴えは結局原告が将来なすべき文書の差入れにつき許可処分をするかどうかの点について当該行政庁の判断が示される以前に裁判所に判断を求めるものに他ならない。

ところで、被告は、行政庁に対し行政権の行使を命ずることを求める訴えは裁判所が行政監督権を行使する結果となると主張するが、判決主文における給付命令は行政庁に一定の作為義務があるとの判断に基づる、この判断の結果を実現すべきことを要求する意思表示に他ならず、判断作用と無関係な単純な監督命令とはその性質を異にするものであることは明らかであるから、主文の表現形式が給付命令の形式をとるということだけで直ちに裁判所が行政庁に対し行政監督権を行使する結果になるという考え方には左袒できない。

また、行政庁の処分権限ないし公義務の存否について具体的な紛争がある場合に裁判所の判断を求めて出訴できることになれば行政権の第一次的判断権を侵すことになり、行政権の自主性を侵害し、行政権を司法権の一般的監督の下におくことであつて、憲法上の権力分立の原理に違反することになるから許されないとする見解がある。しかしながら、裁判所は憲法に特別な定めがない限り一切の法律上の争訟について裁判をする権限を賦与されているのであつて、何人も一切の法律上の争訟につき裁判所の裁判を受ける権利を保障されているから、行政権の行使をめぐる具体的な法律上の紛争についても裁判所の判断を求めることができなければならないことはいうまでもない。しかしこのことから直ちに右のような紛争がある場合には行政庁の判断が示される前の段階においても常に裁判所の判断を求めて出訴しうるとしなければ違憲になるというものではなく、行政作用の適否についての最終的な判断権が何らかの形で裁判所に留保され、司法による国民の権利救済の途が開かれている限り憲法違反の問題は生じない。

したがつて前述のような司法審査の途が確保されている限り行政権行使のいかなる段階でいかなる訴訟形態による司法審査を認める法制とするかは立法政策の問題である。行政事件訴訟法は、「行政事件訴訟」とは抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟および機関訴訟をいうと定めており、抗告訴訟の訴訟形式として「処分の取消の訴え」、「裁決の取消の訴え」、「無効等確認の訴え」、「不作為の違法確認の訴え」の四つをあげているだけであつて右のほかの訴訟形式を認めない趣旨かどうかを明らかにしてはいない。ただ同法が取消訴訟を抗告訴訟の中心においているところ等よりみれば、我が国の現行法の建前が行政庁の処分権限の存否ないし公義務の存否についての行政庁の判断を尊重し、これに基づく行政庁の処分に対してはその判断に重大かつ明白な瑕疵がない限り、いわゆる公定力を付与し、取消訴訟によつてのみ、その公定力を失わせることができるものとしていることは明らかであるといわなければならない。それ故、行政庁により行政行為がなされるのをまたずにその前に訴訟手続で行政庁と国民との間の権利義務の存否を確定することはこれを原則的に許さず、行政庁の処分権限の存否については行政行為がなされた後に取消訴訟という形式で行政庁の判断を争わせ、また公義務の存否については、国民が行政庁に対しある行政行為をなすべきことを求めているのにかかわらず何らの処分もなされないままになつているという場合には、不作為の違法確認の訴えにより何らかの処分、すなわち申請に対する許否の決定を得させ、この処分に対して不服があればその取消しを求めさせるというのが行政事件訴訟法の建前とするところであると解するのが相当である。しかしながら、同法が右のような行政庁の処分権限の存否について国民の側から事前の訴訟によりこれを争い、いわば予防的にその権利の救済をはかることを如何なる理由と必要があろうとも一切拒否し、当該行政庁の処分がなされるのを待つた上で取消訴訟を提起するほか救済の途はないとまで断定することも妥当ではないのであつて、既に行政庁の第一次判断権が行使されたと等しいような状況にあるか、もしくは、行政庁が一定の行為をすべきことが法律上覊束されていて行政庁の第一次的判断を重視する必要がない程度に明白で、しかも国民の権利、利益を行政権の違法な行使による侵害から守るために事前の司法審査が必要不可欠な特別の場合には行政庁の処分がなされる前に行政庁に対し行政処分についての作為または不作為を求める訴訟ないし、行政庁のある行政処分をなすべき義務またはなすべからざる義務の確認を求める訴訟も、行政事件訴訟法第三条第一項にいう「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」の一種として例外的に許されるものと解すべきである。

そこで本件の場合についてみるに、原告の本件請求は、その資格において何らの制限なく一般人として差入れの許可処分を求めているものと解されるところ、刑事訴訟法第三九条第一項の規定は弁護人又は弁護人を選任することができるものの依頼によつて弁護人となろうとする者について認められるものであり、単に弁護士の職業にあるというのみでは右保護は受けられないばかりか、右規定は、被告人または被疑者に対する関係を規定するものであり、高知刑務所に収容される者の大部分は既に判決が確定して刑の執行を受けている者であつて被告人や被疑者は右被収容者の一部にすぎないにもかかわらず、本件請求にはその点につき何らの留保もされていないから右規定により直ちに、本件請求につき法の覊束があつて行政庁の第一次判断権を重視する必要がない程度に明白であるとはいえず、一般規定の適用を待たねばならない。

監獄法第五三条第一項には、「在監者ニ差入ヲ為サンコトヲ請フ者アルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ許スコトヲ得」と規定されており、細則を委任された監獄法施行規則第一四二条には、「在監者ニハ拘禁ノ目的ニ反シ又ハ監獄ノ紀律ヲ害ス可キ物ノ差入ヲ為スコトヲ得ス」と定められているところ、右規則の「物」に文書が含まれるかはしばらくおくとして、差入れを許可すべきかどうかの認定につき行政庁に政策的見地よりする裁量の余地が相当程度認められていることはその規定の趣旨からみても明らかであるので、右認定につき行政庁の一次的判断を重視する必要がない程度に明白であるとはいいがたいし、過去に新聞紙についての差入れが不許可になつた事実があるからといつて、それによつて本件のような文書一般に対する差入れの許否についてまで、すでに行政庁の第一次的判断がなされたと等しい状況にあるということはできない。

仮りに新聞紙については既に行政庁の第一次的判断がなされたものとして取扱う余地が存するものとしても、原告の請求は、高知刑務所に現に収容され、また将来収容されるすべての不特定の者に対し通常紙の差入れを行なうことを予定しているのであり、当面原告が差入れをなすべき相手方については何らの主張がなされていない。さすれば、かかる不確定な将来の事態に対してまで事前の司法審査によらなければ原告の権利救済が得られず回得しがたい損害が生ずるという緊急の必要性は存在しないから国民の権利・利益を行政権の違法な行使による侵害から守るために事前の司法審査が必要不可欠な特別な場合にはあたらないと言わざるをえない。

してみると原告の本件訴えは不適法というべきであるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 安藝保壽 井筒宏成 小野聡子)

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